イソップ童話「すっぱいぶどう」について、僕と同じ意見を持っている人は世間にもそれなりの割合でいそうだ。
イソップ童話「すっぱいぶどう」は、なっているぶどうを食べたいキツネが何とかして取ろうとするが、どうしても届かないと知ったとき「どうせあれはすっぱいんだ」と言ったという話。学校では、キツネの「負け惜しみ」であり、恥ずかしい行動のように教えられた。
しかし、
***これは人生の極意だと思います***通り過ぎてもうやり直せないことは、すっぱいぶどうだったと思うに限る。
ただし、明らかに甘かったことが(例えばタヌキによって)証言されてしまった場合は、これは使えなくなるので、「機械的運命論者」になるのが良いと思う。僕的な「機械的運命論」の考え方はまた別項にて。
タカラのお絵かき知育玩具「せんせい」をご存知でしょうか。
我が家では、子供が「せんせい」に絵を描いたとき、傑作だとデジカメで写真に撮ります。
でも、そのまま印刷できるなら、ぜったいするな、と思います。
もしくはスキャナと通信手段により、PC に画像ファイルが送れるというなら、すぐさまそのバージョンを買います。
既存技術だけで成立するので、やろうと思えばすぐできると思うんだけど・・・
もうあったりするかな。
僕の好みは「経済的にそこそこのゆとりと、時間的にそこそこのゆとり」。
平日のすべてを仕事に割り当て、さらに土日も多く仕事に割り当てる、というようなライフスタイルに興味がない。むしろ積極的に嫌だ。
お金は、たいした贅沢をしない日常+子供の教育費も飛び抜けてかけるほどでない+たまにおしゃれなレストランで外食を(罪悪感なく)する、年に一度とは言わないけど、数年に一度くらいはバリに行く、とかそんな感じ。
それくらいの収入を得ながら、仕事に費やす時間は最短化したい。
そのバランスの見極めが、現在模索中の「幸せのツボ」。
時間のゆとりは何に使う?
家族のケア。
今現在はたまたま、ちょうどそんなくらいの環境にあるが、仕事がこのままのペースで行けるものだか。また、現在の仕事のように、ある種特殊な「楽さ」のぬるま湯に浸かり続けた結果、一般社会でとても通用しない人間になりそうなのが怖い。
今のままで行けるなら現状を最大限活用して浸りきるべきだけど、リストラや大幅給与カットなどで外部に活路を見つけ出さないといけない展開となるなら、ぬるま湯からあがって、それなりの準備運動をしておかなくては、氷水に飛び込むハメになったら心臓発作を起こしてしまう。
そもそも、「一般に」どのくらいの時間、人は働き、どのくらいのアウトプットを出す人が、どれくらいの価値を会社(および業界)から認められているのかがわからない、というのが不安の根源。
外資系コンサルファームの第一線の方々のライフスタイルを見ていると、自分のライフスタイルが奇跡的なゆるやかさなのだとは思うが。
なにごとも、ダイナミックな振る舞いには、スタティックな振る舞いはかなわないのではないかな。
ダイナミック(動的)に振る舞いを変えるということは、相手や状況に合わせた最適な道を選択、もしくは、すくなくとも模索するということ。
すなわち柔軟性。
例えば、「幸せ」についての考え方に柔軟性を持ち込めなくては、状況がかわったときに、環境的に絶対「幸せに人生を終えられない」という状況に陥ることは多いに有り得るので。
スタティックな振る舞いの特長は、行動決定の早さと楽さ(コストの低さ)。
スタティックな振る舞いが正しい振る舞いである場合は、ダイナミックな振る舞いより得であるが、リアルワールドで、中長期的にこの戦略が良い結果を産み出すとはあまり思えない。